◇平成14年
4月29日(月)〜5月3日(金) 「ハバロフスク市公式訪問」報告
ゴールデンウィークがはじまって2日目の4月29日(月)から5月3日(金)まで、武蔵野市と「青少年の相互交流協定」の盟約を結んでいるロシア連邦の極東の中心都市、ハバロフスク市を公式訪問してきました。
まずは、訪問概要からご報告申し上げます。
ハバロフスク市の概要
ハバロフスク市は、ウスリー川とアムール川のほぼ合流地点に位置し、地名は1649年にこの地を訪れた探検家、エロフェイ・ハバロフにちなんでいます。
ハバロフスク市は、この地に国境警備基地が置かれた1858年に創設され、2000年5月、ロシア連邦の大統領全権大使が置かれる7管区のひとつ、極東連邦管区(サハ共和国、沿海地方、ハバロフスク地方、アムール州、カムチャッカ州、マガダン州、サハリン州、ユダヤ自治州、コリャーク自治管区、チュコト自治管区)の中心都市に選ばれ、現在、ロシア極東地域の経済・文化の中心地となっています。
ハバロフスク市の面積は、約370平方キロメートル(武蔵野市の約35倍)で、人口は約62万人(武蔵野市の約4.6倍)。北緯48度30分(樺太島の南部位)、東経135度(神戸市位)に位置し、日本との時差は1時間で、ハバロフスクの方が早く進んでいます。なお、訪問時は夏時間採用のため時差は2時間でした。
ちなみに、ハバロフスク地方(州)は、面積約78万平方キロメートル(日本の約2倍)で、ロシア全体の約4.5%。人口は約152万人です。
交流の経緯
武蔵野市とハバロフスク市との交流は、1987年、ソ連の関係機関と共同で野鳥の研究をしていた帯広畜産大学・藤巻裕蔵教授が「日ソ鳥類保護シンポジウム」に出席された際、ソ連で子どもの能力開発を行なう目的で各地区に設置されていた「ピオネールの家」の野鳥観察グループから、青少年による野鳥の共同研究の提案を受けました。しかし、当時、帯広市内には該当する団体がなく、(財)日本野鳥の会事務局を通じて、本市で野鳥観察を通じ自然の仕組みを学ぶことを目的に小・中学生を対象に行なっていた事業「自然クラブ野鳥教室」に打診があり、野鳥観察を通じた文通が始まりました。
その後、本市は、1991年8月、「武蔵野市青少年野鳥交流使節団」を派遣、ソ連崩壊後の翌1992年6月には、土屋正忠市長がハバロフスク市を訪問して「青少年の相互交流協定」に調印し、以来10年間、隔年ごとに青少年の派遣・受入を行なってきました。
訪問団および訪問の目的
今回の訪問団は「公式訪問団」と「市民植林団」の2種類の団体で構成し、私は、行政側・土屋市長を団長として、議会側・赤松副団長のもと、市長、
議員4名、職員3名、通訳1名で構成する「公式訪問団」のひとりとして参加してきました。
なお、「市民植林団」は、1人約18万円の自費負担で全19名が参加。うち武蔵野市民は13名ということでした。
今回の「公式訪問団」の目的は、
(1)1992年に締結した「青少年の相互交流協定」が10年で期限を終えるため、改めて協定継続の調印をすること。
(2)国立ハバロフスク工科大学に武蔵野市の働きかけで森林経済と環境保護に関する講座(武蔵野市負担総額4,000ドル)を開設してもらうことが合意されており、その調印をすること。
(3)ハバロフスク市ワロニシ地区で、相互交流開始以後、毎年「市民植林団」を募って派遣し、植林活動を行なっており、今年も公募した市民植林団とともに同地区「友好の森」で植林作業に従事すること。
の3点でした。
以下、日程にしたがってご報告いたします。
☆平成14年
4月29日(月)
東京駅に集合。
10:12 東京駅発
上越新幹線MAXあさひ313号にて新潟へ。
12:17 新潟駅着
着後、タクシーにて新潟空港へ。
15:30 新潟空港着
ダリアビア航空にてハバロフスクへ。約2時間(時差2時間)。
<以後、現地時間>
19:25 ハバロフスク着
ハバロフスク空港にて副市長ならびに国際交流部長の出迎えを受ける。
税関通過後、滞在期間中の宿泊地インツーリストホテルへ。
ホテルにて「公式訪問団」の打ち合わせを兼ねながら夕食。
☆平成14年
4月30日(火)
10:00 ハバロフスク市役所にて「青少年の相互交流協定」延長の協定書調印式。
ハバロフスク側はソコロフ市長がケガで入院中のため、カザチェンコ市長代行が調印。
調印式は、ハバロフスク市に拠点を置く地方テレビ局も入り、夜のニュースではその模様が放映されました。
13:00 ハバロフスク市当局の招待により、市内のレストランで昼食。
クレイス副市長、プラトノワ市議会事務局長(議員)ほかと懇談。
15:00 在ハバロフスク日本領事館訪問。
古田次席領事、外山副領事と面談。
16:00 ハバロフスク対外友好協会訪問。
取材のため、現地ミニコミ誌記者も懇談に加わっており、(1)訪問の目的は何か。(2)なぜ女性議員は一人もいないのか。(3)ハバロフスクに植林をしに来たというが、自分たちの武蔵野市に植林すればいいのではないか。などなど、鋭いつっこみをされました。
17:00 市内の市場を見学。
20:00 武蔵野市の主催で、市内のレストランにて、寄付講座を開設する国立ハバロフスク工科大学学長をはじめ、関係者等6名を招いての夕食会。
☆平成14年
5月 1日(水)
11:00 ハバロフスク市ワロニシ地区で植林活動と『友好の森』植林終了のセレモニー。
「市民植林団」、「国立ハバロフスク工科大学学生および関係者」らとともに、約1時間“植林作業”を行いました。
12:30 同地区のロッジ風のレストランでシャシリク(串焼肉)の昼食。
シロフ営林所長ほか現地関係者、市民植林団の皆さんと昼食。
14:30 ヘリコプターからアムール川流域、タイガ地区の森林伐採、森林火災の現状を視察。
私たちはこの日、武蔵野の植林団ならびにロシア側の関係者や工科大学の学生らとともに1千本の朝鮮松を植林しましたが、同日のハバロフスク地方での森林火災による樹木の喪失は約
1万本、うち、自然発火は40%で、残りはタバコやキャンプの火の不始末によるものと聞かされました。
極東地区の厳寒期はきわめて長く、樹木の成長速度は種類によっては熱帯地域の数十倍の時間がかかるとも言われています。熱帯樹林の保護は声高に叫ばれていますが、寒帯林の保護も重大な課題であることがよくわかりました。

17:00 市内に戻ってハバロフスク郷土博物館の見学。
なお、この日現地は「メーデー」であり、ハバロフスクの街はお祭りのように人出が多くて賑わっていました。また、この日から5月5日までは「両親の日」などを含む連休とのことでした。
19:30 土屋市長の主催により、両市交流関係者を招いてのパーティー。
シェフチェンコ副市長、レベダ副市長、国際交流部長、市議会事務局長(議員)、国立工科大学長などロシア側30名、市民植林団など武蔵野市側30名による立食形式の懇親パーティー。
☆平成14年
5月 2日(木)
10:00 植物園を見学。
11:30 ヘフツィル自然保護区を訪問。
小さな自然博物館を見学した後、針葉樹、広葉樹が繁るタイガの中を散策。
12:30 保護区のロッジで昼食。
15:00 アムール川を船にて下る。
20:00 武蔵野市の主催により市内郊外の中華風料理店にて、在ハバロフスク日本領事館員、ハバロフスク対外友好協会副会長らと懇談をかねた夕食会。
☆平成14年
5月 3日(金)
10:00 一時退院したソコロフ市長と会見。
会見でソコロフ市長は、「ロシアの環境問題に関する意識はまだまだ低いものがあり、武蔵野市との環境をテーマにした交流は、徐々にではあるが確実にハバロフスク市民の環境に対する意識に変化をもたらしている。」との事でした。
なお、ソコロフ市長の入院の原因は、スキーでの骨折との事でした。夏には水上スキーも行なう大変アクティブな方のようです。
12:30 ハバロフスク市内の「日本人死亡者慰霊碑」を墓参。
日程にはありませんでしたが、少しだけ時間があいたので、ハバロフスク空港へ向かう途中、急遽、第2次大戦後にシベリア等で亡くなられた日本人の方々を慰霊するために1995年9月、日本政府によってハバロフスク市内に建立された「日本人死亡者慰霊碑」を
墓参しました。
14:10 ハバロフスク空港発
新潟空港経由で新幹線にて一路東京へ。
<以降、日本時間>
14:05 新潟空港着
税関通過後、タクシーにて新潟駅へ。
16:23 新潟駅発
上越新幹線MAXあさひ326号にて東京へ。
18:28 東京駅着
解散。
19:50 自宅へ帰着。
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